聖なることだま

聖なる&心に残る言葉・名言等に触れより良い生き方のヒントになれば幸いです。

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「なぜ私達でなくてあなたが? あなたは代わって下さったのだ」神谷美恵子

☆彡今日の一言   神谷美恵子

 

●「悲しみをてこにして飛躍すること。悲しみや苦しみの中になずむな、それに清められ鍛えられ、優しく去れよ」 神谷美恵子

 

●「なぜ私達でなくてあなたが?あなたは代わって下さったのだ神谷美恵子

神谷美恵子ハンセン病患者の国立療養所である長嶋愛生園を訪れたときに作った詩の一説だ。


これを書いたのは1943年(昭和18年)である。


当時、ハンセン病の治療薬はまだ開発されていなかった。


患者は社会から強制隔離され、崩ゆく身体を抱えたまま、死を待つし言う状態だった。

 

この詩の 淵にあえいでいる人たちに対して、神谷美恵子はキリストの受難に似た受け止め方をしたのである。

 

自分の身代わりとなって犠牲になってくださったのだという認識だ。

 

これは患者に対する同情ではない。


もしかすると自分もその患者になったのかもしれない。


あるものは死に、自分はたまたま生きている。

 

そこで生と死、病と苦しみが常に彼女の心をとらえていたのだ。


患者の絶望感、死への恐怖を自分のこととして感じる。


その病気と闘っている人々を心から畏敬し、その人たちのために働こうと決意する。

 

 

神谷美恵子聖なる声 (文春文庫)

神谷美恵子聖なる声 (文春文庫)

 

 以上は 宮原安春著 神谷美恵子聖なる声 より一部抜粋

 

☆彡今日の一言 テレーズ・マルタン

聖母は私に微笑み、私を癒してくださったのは

 

確かに聖母ご自身であったと、心のうちに確信させてくださいました。自叙伝158

 

 

以上は テレーズ・マルタン著 

 

リジューのテレーズ365の言葉

リジューのテレーズ365の言葉

 

 

より一部抜粋

 

 

☆彡マザー・テレサ

一人の紳士が私の所へやってきて、かなりの額の寄付を申し出ました。

 

その寄付を下さってから、彼はこう言いました。

 

「先ほどのは私の外的なものですが、今度は私自身を与えたいと思います。」

 

そして彼は定期的にカリガートの『死を待つ人の家』に来て、

 

病人や、死んでいく人々の相手をし、彼らの体を洗ったり、ひげをそったりしてあげたりして、手伝っています。

 

彼は自分自身の何かを与えたかったのです。そして今、彼はそれを与えています。

 

 

 

マザー・テレサ 日々のことば

マザー・テレサ 日々のことば

 

 

以上は マザー・テレサマザー・テレサ日々の言葉より一部抜粋

 

 

 

 


★神谷 美恵子のプロフィール
神谷 美恵子(かみや みえこ、1914年(大正3年)1月12日 - 1979年(昭和54年)10月22日)は、大正3年1月12日生まれ。前田多門の長女。神谷宣郎の妻。

日本の精神科医。哲学書・文学書の翻訳やエッセイの著者としても知られる。

 

「戦時中の東大病院精神科を支えた3人の医師の内の一人」、「戦後にGHQと文部省の折衝を一手に引き受けていた」、「美智子皇后の相談役」などの逸話でも知られる。

 

精神科医,著述家。東京生れ。父前田多門はILO日本代表,のち文部大臣,兄前田陽一は東大教授(フランス語・文学)。津田英学塾を卒業後,米国コロンビア大に留学し,ギリシア文学と医学を学ぶ。

 

帰国後,東京女子医学専門学校に学び,東大病院精神科医局に入る。神戸女学院大に勤務するかたわら,1958年−1972年瀬戸内海のハンセン病国立医療所〈長島愛生園〉で医療活動に従事。

 

この施設で患者と生活をともにするなかで,《生きがいについて》や《こころの旅》を執筆。1963年−1976年津田塾大教授。マルクス・アウレリウス《自省録》の翻訳なども残した。著作集(全5巻)がある。

 

誕生 前田 美恵子
(まえだ みえこ)
1914年(大正3年)1月12日
岡山県岡山市
死没 1979年10月22日(65歳没)
職業 精神科医・作家
国籍 日本
代表作 『生きがいについて』(1966年)
配偶者 神谷宣郎
子供 神谷律(長男)
神谷徹(次男)
親族 前田多門(父)
房子(母)
前田陽一(兄)


◆著作
著作集(みすず書房、1980-1985年)
『生きがいについて』 
『人間をみつめて 付・ケベースの絵馬』 
『こころの旅 付・本との出会い』 
ヴァジニア・ウルフ研究』[8]
『旅の手帖より エッセイ集 1』
『存在の重み エッセイ集 2』
『精神医学研究 1』
『精神医学研究 2』
『遍歴』
『日記・書簡集』
補巻 1.『若き日の日記』 新版2014年
補巻 2.『神谷美恵子・浦口真左 往復書簡集』 新版1999年
神谷美恵子コレクション】 みすず書房[9]、2004-05年
『生きがいについて』 ISBN 4622081814
『人間をみつめて』 ISBN 4622081822
『こころの旅』 ISBN 4622081830
『遍歴』 ISBN 4622081849
『本、そして人』 ISBN 4622081857
生前刊行
『生きがいについて』 みすず書房、1966年
『人間をみつめて』 朝日新聞社、1971年、朝日選書(新版)、1974年、のち新装版
『極限のひと 病める人とともに』 ルガール社、1973年
『こころの旅』 日本評論社、1974年
神谷美恵子 エッセイ集』(全2冊) ルガール社、1977年。「教育・人物篇」、「いのち・らい・精神医療」
『精神医学と人間 精神医学論文集』 ルガール社、1978年
新版
『うつわの歌』 みすず書房、1989年、新版2014年 ISBN 4622078589。訳詩集ほか
『ケアへのまなざし』 みすず書房〈始まりの本〉、2013年 ISBN 4622081865  
神谷美恵子 いのちのよろこび』 <人生のエッセイ4>日本図書センター、2000年。選文集
神谷美恵子日記』 角川文庫、2002年、新版2013年、ISBN 4043617011
『人間をみつめて』 河出書房新社、2014年、ISBN 4309022812。新書判
神谷美恵子 島の診療記録から』 平凡社、2017年、ISBN 4582531628
学位論文データベース[編集]
大阪大学により1960年2月3日、受理。医学博士号
000010571981 //神谷美恵子 [癩に関する精神医学的研究]

◆翻訳
マルクス・アウレーリアス 『自省録』 岩波文庫、初版1956年、改版2007年 ISBN 4003361016。初刊は、創元社(哲学叢書)、1949年
グレゴリ・ジルボーグ 『医学的心理学史』 みすず書房、初版1958年、ISBN 4622022001 
ミシェル・フーコー 『臨床医学の誕生』 みすず書房、初版1969年、新版〈始まりの本〉、2011年、ISBN 4622083418
ミシェル・フーコー 『精神疾患と心理学』 みすず書房、初版1970年、新版2016年、ISBN 4622079925
ヴァージニア・ウルフ 『ある作家の日記』 みすず書房、新版2015年[10]、ISBN 4622045060
ハリール・ジブラーン 『ハリール・ジブラーンの詩』 角川文庫、2003年

◆評論・伝記
神谷美恵子 人としごと』 みすず書房「著作集 別巻」、1983年
神谷美恵子の世界』 みすず書房編集部編、2004年。ISBN 4622081865。アルバム+回想評伝(上記の一部を収録)
『総特集 生誕100年 神谷美恵子 -「生きがい」は「葛藤」から生まれる。』 河出書房新社〈夢ムック〉、2014年。ISBN 4309978452
太田雄三 『喪失からの出発 神谷美恵子のこと』 岩波書店、2001年
太田愛人神谷美恵子 若きこころの旅』 河出書房新社、2003年
江尻美穂子 『神谷美恵子 人と思想』 清水書院、1995年、新版2015年。ISBN 4389421360。著者はゼミで指導を受けた
宮原安春神谷美恵子 聖なる声』 講談社、1997年、文春文庫、2001年
野村一彦 『会うことは目で愛し合うこと、会わずにいることは魂で愛し合うこと。神谷美恵子との日々』[11] 
住川碧編、港の人、2002年(販売新宿書房)。ISBN 4880082791
神谷美恵子東京研究会 『神谷美恵子の生きがいの育て方』 PHP文庫(新版)、2006年

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